ニィタの日記

アニメ、漫画、ボードゲームなど。Twitter:@niita0119

半年放置とハピプリ

月一ペースで書きたいと言いながら半年以上放置するというね。仕方ないね。

とりあえずここ数年、自分の頭のなかでグルグル回っている「プリティーリズムシリーズの『プリズムの輝き』と、スティール・ボール・ランの『重力』は同じものだ!」っていう電波文章は同じ電波を受信できる人には伝わるレベルで文章化してここにお載せしたいね。受信してくれるのかなと心配もしてますからね。

そんでなんかこんな状態でも1日に10件くらいのアクセスがあるんですけど周回ロボットなんですかね?生身の方なんですかね?生身の方だと申し訳ない感じしますね?いやロボットでも申し訳ないですね?公共の電波にね?こんな電波デブリをね?

とりあえず、既に書いていたストックのなかでなんとか文章の形をしてるものとして、「ハピネスチャージプリキュア!」の断片的な感想を置いておきます。

リアルタイム視聴時は「あそこをああすればもっと……」みたいな箇所がたくさんあったし、結局「いまいち」とか言ってるんですが、今にして思うとそれはむしろかなりハマっていたということでは?と思いました(重言)。

 

「じゃあ、女の中では一番か!?」
せいじの善き肉食系男子って感じのセリフは良かった。これなら惚れるな、みたいな。それだけに、ひめの恋は勘違いじゃない方が面白かった。というかめぐみの神に対する感情の方がよっぽど恋に恋する吊り橋効果の勘違いに見えるんだよねー。めぐみの恋が悪いって意味じゃなく、アレがいいならひめのだっていいでしょって意味で。勘違いから始まる恋もある。

めぐみはせいじのことを「家族のように」思っている。せいじはめぐみのことを「家族と同じくらい大切に」思っている、という微妙な言葉遣いの違いに恋愛関係の行き違いを感じる。めぐみにとってせいじは幼馴染であり、すでに家族のようなものだけど、せいじにとってめぐみは恋愛対象であり、家族になりたいと思っている。ココのぞをはじめ、これまでのプリキュアの恋愛関係はロマンチックな感じが優先されてたけど、せいめぐの関係は男子目線もあり、地に足ついてるというか、生々しさを感じる。母親はトラック運転手だし。

ひめ→せいじ→めぐみ→神→ミラージュ←ファントム
という六角関係というか恋の一方通行は面白そうだったのだがひめが脱落?というか門前払いされてしまった。

せいじの描写が丁寧だからこそせいじが出そうなのに全然でない回が結構あることに違和感を覚える。アンラブリーとか出たんだし男が戦ってもよかったんじゃないかな。それか一般人でもできることがある設定にするとか。
めぐみ、ひめ、ゆうゆう、いおな、せいじ、神、くらいはなんかしら出る必然性のある設定与えて(神の力で必殺技出すとか)毎回出るレギュラーでよかったのでは。5gogoはこれ以上のレギュラーキャラで回してたんだし。9人。

ハワイ回みたいなのを劇場版で見たかった。

ハピネスチャージプリキュア 全体を通して
恋愛、ダンス、十周年、世界のプリキュアといろんな要素が入ったシリーズだったが、結局どれも中途半端になってしまった印象。
ひめ→せいじ→めぐみ→神の四角関係は面白くなりそうな気がしたが即否定されてしまった。ひめせい回よかったのに……。ニチアサだから恋愛のごたごたは忌避されたのだろうか?5のココとのぞみはわりとそれ以上に問題な恋愛だった気もするが。博愛と恋愛の違いを描いたという見方もあったらしいがいまいち私には分からなかった。
世界のプリキュアも結局まともに話に絡んだのはハワイ組だけだった。そもそもあまりにステレオタイプで昨今のPCとかを考えると使いづらそうだったしなあ。ハワイはそんなにステレオタイプじゃなかったのがそれを示してる気がする。
神はクズであること自体は面白いのだけど、それが糾弾されないどころかミラージュと幸せになって別惑星に逃げるのがちょっと。神の優柔不断さとかが幻影帝国の煽りとかじゃなくまともに問題になっていたらむしろ面白かったんじゃないか。
ダンスをダメージのある必殺技にするのはどうかと思った。浄化技、昇天技とかもまああったけど、戦いの道具にするっていうのがひっかかった。
愛を押し付けるプリキュアという評があったと思うけど、確かにそう感じたかもしれない。プリキュアシリーズは大抵そうかもしれないが、なんか特に。
全体としてはいまいちに感じたが、ひめせい回、VSミラージュ回はシリーズ通してもかなり好き。